2015年12月7日月曜日

「ボッシュからブリューゲルまで—日常生活の発見」展


オランダ、ロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ベーニンヘン美術館では「ボッシュからブリューゲルまで—日常生活の発見」展を開催中だ。この展覧会では、風俗画の草分けであるヒエロニムス・ボッシュから、農民画家ピーテル・ブリューゲル(父)までを展望する。

16世紀のヨーロッパは、カトリック教会の権威が堅固でなくなり、人文主義と宗教改革による神と人間との新しい展望が示された時代である。また、カルバン派などの運動により聖書の制約から人々が解き放たれた時代でもあった。そうした時代と人々を風俗画は痛烈に描く。農民や傭兵、乞食、ふしだらな女性。食事をたらふく食べ、酒を浴びるように飲み、性に強い関心を持ち、仕事はなまけ、男性は女房の尻に敷かれる。作品の購入者となった都市生活者は、彼らの中でもとくに農民を「無学な愚か者」として嘲笑した。

ピーテル・ブリューゲル(父)が描いた《農民と鳥の巣盗り》(fig.1)には、木の上で鳥の巣を盗んで今にも木から落ちそうになっている男と、彼を指さして笑っている農民。農民は他人の失敗を笑っているが、あと一歩で自分が川に落ちることに気づいていない。一見すると愚かな農民を描いたように思われる作品だが、この作品を描いたとき、ブリューゲルの頭のなかには、哲学者を行く手の危険に気付かない単純な人物として風刺したエラスムスの風刺文学『痴愚神礼賛』があったとされる。

収税吏や銀行家、弁護士らは、時代遅れの豪華な衣装で着飾って現実の姿とはかけ離れた姿で描かれることが多い。金儲け主義の欲深い人物としてやはり嘲笑の対象であったのだ。

「ボッシュからブリューゲルまで—日常生活の発見」展は2016年1月17日まで(月曜日休館)













ボイマンス・ファン・ベーニンヘン美術館 Museum Boijmans Van Beuningen

Museumpark 18-20
3015 CX Rotterdam
the Netherlands
+31 20 570 5200
http://www.boijmans.nl/en/

開館時間:

火曜日~日曜日 11:00-17:00
12月5、24日、31日 11:00-16:00

休館日:

毎週月曜日及び1月1日、4月27日、12月25日

2015年11月17日火曜日

「ムンクとゴッホ」展

fig.1 Edvard Munch, Self-Portrait with Palette,
1926. Private collection

ノルウェーの画家エドワルド・ムンク(1863-1944、fig.1)とオランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890、fig.2)の二人は、その生涯に出会うことはなかった。しかし、同時期に画家として歩みをはじめ、同時期にパリに滞在して新しい芸術を貪欲に吸収し、非常に類似したテーマに取り組んだ。画家として似たような道のりを辿ったにも関わらず、それぞれが生み出した絵画は大きく異なる。オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館で開催中の「ムンクとゴッホ」展は、ゴッホ美術館とオスロのムンク美術館との長年にわたる共同研究をもとにし、彼らの類似点と相違点を検証した展覧会である。

ゴッホはムンクより10年早く生まれたが、彼らの画家としての経歴はほとんど同時期の1880年頃に始まった。彼らはまず母国で自然主義的な画家の影響を受けて伝統的な画題に取り組み、抑制された色遣いをしていた。しかしすぐに、伝統的な描き方では飽き足らなくなり、芸術の都パリへと赴く。ムンクは1885年、ゴッホはその翌年の1886年のことであった。



fig.2 Vincent van Gogh, Self-Portrait as a Painter,
1887-1888. Van Gogh Museum, Amsterdam.
(Vincent van Gogh Foundation)

同時期にパリに滞在していた二人が出会うことはなかった。しかし、二人ともモネの光と色彩表現を尊敬し、マネの肖像画やロートレックの人物画にインスピレーションを受け、ピサロの点描技法を経験し、カイユボットの画面構成を取り入れ、新しいアイディアをスポンジのように吸収し、自らの芸術を確立していった。

さらに二人を深く結び付ける類似点は、人間の存在の本質と、その意味を追求する姿勢であった。繰り返され続ける生や死、愛と希望の喪失による恐怖と苦痛など、答えの出ない本質的で普遍的な問題に熱心に取り組んだ。奇しくも二人とも、恋愛のもつれにより、自らの身体を傷つけている。ゴッホはこれらのテーマを《子守女(オーギュスティーヌ・ルーラン)》《荒れ模様の空の麦畑》《サン・ポール療養院の庭》で、ムンクは《星明りの夜》《叫び》《病気の子ども》《マドンナ》で取り組んだ。

このように、同じ絵画技術を習得し、同様のテーマを扱っていたのにも関わらず、二人が描いた作品は大きく異なっている。それぞれの代表作である、ゴッホの《ひまわり》、ムンクの《叫び》を比べると理解できるだろう。ゴッホは現実世界を、練習に練習を重ねたうえで描き、ムンクは見ているものではなく、見たものを現実世界に縛られることなく自由に描いている。ここに二人の画家の個性の在り方が浮き彫りにされていると考えられる。


「ムンクとゴッホ」展は、1月17日まで開催。

ゴッホ美術館 Van Gogh Museum
Museumplein 6
1071 DJ Amsterdam
The Netherlands
+31 20 570 5200
http://www.vangoghmuseum.nl
開館時間:
2月28日まで9:00-17:00 (金曜日は22:00まで)
9月27日から10月31日まで9:00-18:00 (金曜日・土曜日は22:00まで)
2015年12月25日(金)は9:00-17:00
2016年1月1日は11:00-22:00

2015年10月26日月曜日

国家それとも市民?芸術品購入の資金源

レンブラント作品をめぐりオランダとフランスが政治決着


オランダとフランスがレンブラントの名作を「共同購入」することになったというニュースが、欧州のアート業界の関心を集めている。

その作品とは、17世紀オランダ黄金時代の巨匠・レンブラントによる2枚1組の肖像画(fig.1)。モデルはオランダ上流階級の若い男女で、1634年、結婚を記念して描かれたものだという。19世紀末、フランスの富豪・ロートシルト家に売却され、現在に至るまで同家のコレクションの一部であり続けた。
この作品が1億6000万ユーロ(約220億円)で売却されることとなり、オランダ・国立美術館は2作品両方を所有するため資金調達を目指したが、同時にフランス政府も、ルーヴル美術館のコレクションに加えるため、片方のみの購入を画策したという。
fig.1 レンブラント Maerten Soolmans と Oopjen Coppit の肖像画


結局、オランダ側は全額を集めることができず、オランダとフランスの政府間交渉の結果、それぞれが半額の8000万ユーロ(110億円)で片方ずつ所有するという「政治決着」がはかられた。

結局、ペアで展示されるべき2作品を2カ国で分け合う結果となったが、今後、片方をお互い貸し出しあって必ず「カップル」として展示する約束だという。
高額な美術品の購入はもちろんのこと、文化活動には資金不足がつきもの。今回話題となったレンブラント作品は、2カ国でいわば「共有」する形で決着したが、昨今の財政難で国庫からの支出は益々困難になっている。そこで注目を集めているのがインターネットを活用し、一般市民から広く浅く資金を集める「クラウド・ファンディング」だ。



美術品購入に有効なクラウド・ファンディング


この「クラウド・ファンディング」の手法を使った寄付キャンペーンが、現在、パリの2つの美術館によって進行中だ。



ルーヴル美術館《矢の切れ味を試すクピド》

fig.2 ジャック・サリー《矢の切れ味を試すクピド》

まず、ルーヴル美術館が予定する大理石像《矢の切れ味を試すクピド》(fig.2)購入のためのクラウド・ファンディング。ルイ15世の愛妾、ポンパドゥール夫人が彫刻家ジャック・サリーに注文したもので、ぼっちゃりした指先で矢の先に触れる可愛らしいしぐさに目を奪われる。

《矢の切れ味を試すクピド》募金ウェブサイト(日本語)



ギメ東洋美術館「甲冑」



もう一件は、アジア美術を専門とするギメ東洋美術館が購入を目指す日本の「甲冑」。17世紀に制作されたもので大変保存状態もよい逸品とのこと。

「甲冑」購入キャンペーン・サイト(仏語のみ)



いずれも、美術館の公式ホームページ上に特設ウェブサイトが置かれ、作品情報、クレジットカードの決済フォームのほか、資金の集まり具合が一目でわかるようになっている。
寄付するメリットとして、募金額の多寡によって、美術館の無料チケットから鑑賞のための夜会への招待まで、様々な特典が準備されている。美術ファンにとっては、国宝級の傑作を身近に感じるまたとない機会ともいえそうだ。

2015年10月18日日曜日

芸術家としてのディック・ブルーナ

Illustration Dick Bruna © copyright Mercis bv, 1997

オランダを代表するかわいいウサギの女の子のキャラクター、ミッフィー(うさこちゃん)。60年前の1955年6月21日に絵本「ちいさなうさこちゃん」が出版されて以来、これまで世界中の多くの子どもたちに親しまれてきた。このミッフィーを世に送り出したのはオランダ人のディック・ブルーナだ。現在、ミッフィーの誕生60周年を記念して「ディック・ブルーナ アーティスト」展がアムステルダム国立美術館で開催されている。


ブルーナは、幼い息子が夜寝る前に、かつて息子と一緒に見たウサギの話を聞かせていた。このウサギが、のちのミッフィーである。ワンピースを着たウサギの姿が頭に浮かんだのは、マティスの作品を見たときであったと、後年、ブルーナは語っている。
ブルーナがマティスの作品に初めて触れたのは、家業である出版社を継ぐための研修としてパリを訪れた時であった。仕事の合間を縫って美術館や画廊に足しげく通い、そこに並んだマティスやレジェ、ピカソのなどの作品を驚きの目で見つめた。それまでゴッホやレンブラントなどの画集に親しんでいたブルーナは、彼らが用いる抽象的でシンプルな形と単一の色彩で塗られた色面、またそれらを形作る力強い線に衝撃を受けたのである。


Dick Bruna at the Rijksmuseum in 2011.
Photo: Rijksmuseum
一時期、ブルーナはマティスの滑らかで流れるような線を自分のものにしようと努力を重ねていた。「あのころのデッサンを見ると、マティスを模倣することなく、私が彼のようになろうとしていたことが分かるだろう」と、ブルーナは振り返る。彼らの作品の間には丸みを帯びた滑らかな描線のような明らかな類似点が見られるが、もちろん相違点もある。マティスはさらさらとよどみなく筆を走らせ、一本の線のなかでも太さや濃淡が変化するが、ブルーナは確実に輪郭を捉えようと慎重に筆を進めている。

マティスに線を倣ったブルーナであるが、その他にもピカソやブラック、レジェなどの明快な線描や最小限の色彩での表現に創作意欲を掻き立てられた。また、ミッフィーの絵本を特徴づける正方形のフォルムは、オランダの芸術運動デ・スティルに参加していたヘリット・リートフェルトの影響である。会場では、これらの画家たちの作品とブルーナの作品を並べて展示し、絵本作家ではなく、画家としてディック・ブルーナの画業を捉えなおそうとしている。

「ディック・ブルーナ アーティスト」展は11月15日まで。
アムステルダム国立美術館 Rijksmuseum
Museumstraat 1
1071 CJ Amsterdam
The Netherlands
www.rijksmuseum.nl/en
開館時間:
9:00-17:00 年中無休

2015年8月18日火曜日

「ジャクソン・ポロック―ブラインド・スポット」




テート・リヴァプールでは、この夏、ジャクソン・ポロックの最晩年(1951-1953年)に焦点を当てた展覧会「ジャクソン・ポロック-ブラインド・スポット」を開催している。彼の代名詞とも呼べる技法「ポーリング」や「ドリッピング」で旺盛に作品制作を行った後に作風をがらりと変えた最晩年は、これまでそれほど注目されてこなかった時期にあたる。

ポロックの生涯はまさに映画の主人公のようであった。1930年代のニューヨークで不安定な精神状況とアルコール依存に苦しみながら作品制作を行っていた彼は、ある日、著名なコレクターであるペギー・グッゲンハイムに見出されて一躍、時の人となった。床に広げた大きなキャンバスに絵具をふり注いで描く「アクション・ペインティング」で注目を集め、1950年の絶頂期に至るまでには、歴史に残る大作を何点も生みだした。(fig. 1)

彼が確立した「ポーリング」や「ドリッピング」の技法は、床に広げたカンヴァスの上に流動性の高い塗料を流し込んで描いていく技法である。繊細で伸びやかな、手では描き出せない長い線を画面上に紡ぎ、大作を次々と制作した。


しかし、この技法で純粋な線によってのみ作品制作をした時期はわずか4年ほどしかなかった。そして1951年からはそれまでに確立されたかに見える様式と抽象表現をあえて否定するかのように、人物や動物などの具象的なイメージが画面に現われ、色彩もカラフルなものから白と黒のモノクロームを主体としたものへと変化した。《ポートレートと夢》(1953年、fig.2)では、左側の作品には女性の全身像が、右側には女性の顔が認められる。彼は自らの作風が様式化することを恐れ、我々のブラインド・スポット(盲点)を突くような作品を生み出すために常に変貌することを望んだ。だが、新たな作品を模索する闘争の苦しみによるスランプのためか、1951年の個展の評判が散々であったことを気に病んだためか、再びアルコールに溺れ、1956年に自動車事故で44歳という若さで流星のようにこの世を去った。

「ジャクソン・ポロック―ブラインド・スポット」展は、2015年10月18日まで開催 (開催期間中無休)。
テート・リヴァプール Tate Liverpool
Albert Dock
Liverpool, Waterfront
United Kingdom
http://www.tate.org.uk/visit/tate-liverpool
開館時間:
10:00-17:50 (第一水曜日は10:30-17:50)
休館日  4月3日、12月14-16日

2015年7月27日月曜日

レンブラント?《サウルとダビデ》の場合

Fig.1 Saul and David after restoration, Photographer: © Margareta Svensson, credits: Mauritshuis, Den Haag
マウリッツハイス美術館の珠玉の一枚であった≪サウルとダビデ≫(fig.1)は、レンブラント研究の第一人者であるホルスト・ヘルソンにより、1969年に作品の帰属に疑問を投げかけられ、一度、表舞台から姿を消した。しかし、2007年にマウリッツハイス美術館で始まった調査・研究を経たのち、6月から始まった展覧会「レンブラント?≪サウルとダビデ≫の場合」で再びスポットライトがあてられた。

≪サウルとダビデ≫には二人の人物 - イスラエル王国最初の王であるサウルと、竪琴の名手ダビデが描かれている。ダビデは竪琴の美しい音色によって王の心を癒していたが、彼がペリシテの勇者ゴリアテを倒して有名になるとサウルはダビデを妬んで命を狙うようになった。サウルとダビデを描いた多くの作品には、嫉妬に駆られたサウルがダビデを殺そうと槍を握りしめている姿が描かれる。レンブラントも1629年頃に描いた同じ主題の作品ではそのような姿のサウルを描いた。しかし、今回調査した作品ではサウルの手は槍に添えられているだけであり、カーテンでダビデの奏でる音楽に感動して流した涙を拭っている。このような過去作品との描き方の違い方が、作品の帰属に疑問を投げかける一端となっていた。

Fig.2 Saul and David on restoration infrared,
Photographer: © Ivo Hoekstra, credits: Mauritshuis, Den Haag
作品調査はマウリッツハイス美術館の学芸員と修復家を中心に行われ、海外の専門家で編成された委員会も発足された。調査過程において、かつての修復作業などによってなされた加筆・補彩が取り除かれると、絵画は驚くべき姿を見せた。このカンヴァスは15片の断片を貼りあわせており、オリジナルの部分はサウルとダビデを描いた二つの大きな部分だけであるのが判明したのだ。そして、描かれた当初の大きさは現在のものよりもかなり大きく、下部を約10センチ、左を約5センチ切り取られていることが分かった。

加筆・補彩の除去とX線写真などの最新機器による調査により作品の真の姿が明らかになっても、マウリッツハイス美術館はこの作品をレンブラント作品だと結論付けることに躊躇した。それは、この作品が一度完成されたのちに、数年後、再び手が加えられているからだ。繊細に仕上げられた作品の上から、サウルが着用しているマントの部分などにぎこちない筆触があるのだ。それがレンブラントの手によるものか、弟子によるものか曖昧なままであった。ホルスト・ヘルソンが1969年にこの作品の帰属に疑問を呈したのも、レンブラントの描き方とかけ離れていると考えたからであった。しかし、マウリッツハイス美術館は、顔料の調査も行って、過去の修復によって絵具層や絵具の色彩が失われてしまったために絵が変化したと結論づけ、最終的にこの作品はレンブラントの真作だと判定した。

この展覧会では、《サウルとダビデ》と調査で参考にしたレンブラント等の作品のほかに、展示室に設置された4つのディスプレイを使って映像による作品の詳しい解説がなされている。作品の履歴や修復作業によって判明した新しい事実が示され、複数の研究者の見解を経て最終的にレンブラント作品だと同定される様子は、まるでミステリー映画の謎解きのようだ。このレクチャーを受ける前と後では、《サウルとダビデ》の見え方が変わるだろう。


「レンブラント?《サウルとダビデ》の場合」展は9月13日まで

マウリッツハイス美術館 Mauritshuis Museum
Plein 29
2511 CS The Hague
The Netherlands
http://www.mauritshuis.nl/
開館時間:
月曜日 13:00—18:00 
火—日曜日 10:00—18:00(木曜日は20時まで)
祝日期間中は特別時間

2015年6月16日火曜日

「マティスのオアシス」展





アムステルダム市立美術館で「マティスのオアシス」展が開催されている。マティス芸術の集大成「切り紙絵」に至る道程が、油彩、素描、版画、ステンドグラスなど100点以上の作品によって示され、同館が所蔵するマティスの巨大な切り紙絵《インコと人魚》(1952-1953)へと集約していく。

美術の歴史において「線」と「色」とは長く対立する要素とされ、それをいかに調和させるかということは画家たちが長い間腐心してきた問題である。その一つの答えとなったのが、マティスが生み出した新しい技法「切り紙絵」である。グワッシュで色を塗った紙からまるで線を引くようにハサミでモティーフを切り出し、それらを配置することによって、マティスは「線」と「色」とが一体になった表現を実現した。「ハサミでデッサンする」という彼の言葉が示すように、 ハサミで線を描くように色の塊を切り出していくことはマティスにとって色をかたどること、線と色とを調和させることだった。

切り紙絵は新しいテクニックであるのに反して、そこで用いられるモティーフは花や植物などの初期の頃からマティスが好んで用いていたものが多い。とくに1930年代にタヒチを旅行した際に目が眩むほど強烈な衝撃を受けた力強く美しい海洋の楽園の光景が切り紙絵のモティーフとして数多く登場する。強い日差しを浴びて刻々と色を変える青い海、青い空を飛び回る鳥、ユニークな形の植物や水中植物が、カラフルな色彩で切り出されている。

写真にある4点の作品(Fig.1)は、アトリエの壁二面にわたって制作された作品であり、右から二番目の横長の作品が《インコと人魚》である。これらの作品が制作されたのは、マティスが腸の疾患により大手術を受けたあとに自宅で療養していた時であった。マティスはハサミで形を切り出すときには紙を机に置かず、左手で紙を持ち上げ、まるでカモメが空を飛ぶように軽やかにハサミを動かした。切り出したモティーフはアシスタントの手に渡り、マティスが指示した場所にハンマーと釘で打ち付けられた。ときに助手は脚立に登ってモティーフを固定した。カラフルな形が壁面を飾り、マティスのアトリエはオアシスへと変化した。

展覧会は美術館の一階と二階の二会場に分かれている。一階には切り紙絵に至る道程が同時代の画家たち、また影響を受けた画家たちの作品と比較しながら丁寧に示され、二階では「切り紙絵」作品と、切り紙絵を原画とする版画『ジャズ』、ステンドグラス、衣装などが展示されている。

「マティスのオアシス」展は、2015年8月16日まで開催。

アムステルダム市立美術館 Stedelijkmuseum
Museumplein 10
1071 DJ Amsterdam
The Netherlands
http://www.stedelijk.nl/en
開館時間:
月—日曜日 10:00-18:00 (木曜日は22時まで)

2015年5月20日水曜日

ゴッホと仲間たち展

Fig.1 Vincent van Gogh, Self-portrait,
April - June 1887, oil on cardboard,
Kröller-Müller Museum, Otterlo
ゴッホの故郷オランダにあるクレラー・ミュラー美術館では、コレクションの中からゴッホ作品約50点と、コローやミレーなどの先駆者や同時代の画家、そしてゴッホに影響を受けた画家たちの作品を合わせて総数108点を展示する企画展「ゴッホと仲間たち」を開催している。

ゴッホ(fig.1)は若い頃から多くの画家に尊敬の念を抱いていた。彼が勤めていたハーグにある美術商「グーピル商会」で多くの作品を扱い、各地の美術館を訪ね、気に入った作品や画集を購入している。画家を志した時にはオランダのハーグを中心に活躍する画家集団であるハーグ派の画家であったアントン・モーブに教えを乞い、パリに渡ってからはゴーガンや、ベルナールなどの若い画家たちと交わりあいながら画家としての腕を磨いた。

画家への第一歩を踏み出したとき、ゴッホはミレーが描いた農民の姿に惹きつけられて《種まく人》などの作品を模写する。また、農民の頭部を描いた習作を重ね、それらを組み合わせて仕事を終えた後の食事風景を描いた初期の代表作《馬鈴薯を食べる人々》を制作した。静物画においてもジャガイモや玉ねぎなどの野菜や労働で履きつぶしたブーツなど、農民の生活に根差した物を好んで描いていた。これらの静物画は直接的には農民の姿を描いていないが、彼らの姿を別の角度からとらえた肖像画といえるだろう。


Vincent van Gogh, Still Life with a Plate of Onions,
1889, oil on canvas, Kröller-Müller Museum, Otterlo
また、そのほかの静物画のなかに、当時のゴッホの心情を率直に表しており、一種の自画像といえるものがある。たとえば、ゴッホが自ら耳を切り落とした翌年、精神病院から退院してすぐに描いた《玉ねぎの皿のある静物》(1889年)(fig.2)だ。ここには退院直後の自らの体調を気遣うように家庭の医学書と、愛煙家であったゴッホのパイプとタバコ、そして日々の愉しみである酒のボトルとコーヒーが置かれている。そして、手前には送り主である弟テオの住所と1888年の年末に使用されていた消印が押された手紙が見える。残念ながらこの手紙は現在残っていない。一般的には、1888年12月23日にゴッホが耳を切り落としたのはゴーガンとの関係が決裂したからだとされているが、この失われてしまった手紙で弟テオの婚約を知ったこともその引き金になったのではないかと主張する研究者もいる。精神的にも経済的にも依存していたテオが結婚するとなると、今まで通りの支援が望めないので心を病んだというのだ。しかし、退院後に描いたこの作品には、手紙とともに緑の芽を伸ばす玉ねぎが描かれている。新芽からは湧き上がる生命力が感じられ、この手紙を受け取った時は自分の人生に絶望したゴッホが立ち直り、自らの新しい人生を肯定的にとらえている様子が伝わってくる。

ゴッホと仲間たち展は9月27日まで(月曜日休館日)

クレラー・ミュラー美術館 Kröller-Müller Museum
Houtkampweg 6
6731 AW Otterlo
The Netherlands
www.krollermuller.nl/visit
開館時間:
火—日曜日、祝日* 10:00—17:00(彫刻庭園は16:30まで)
*イースター、聖霊降臨祭、4月27日、5月5日、12月23日
休館日   月曜日、1月1日

2015年4月26日日曜日

ベラスケス展

Fig. 2 Diego Velazquez, Portrait du pape Innocent X,
1650, 140 x 200, oil on canvas, Rome, Galleria Doria
Pamphilj, © Amministrazione Doria Pamphilj srl



17世紀はスペイン絵画の黄金時代といわれる。この時代を代表するのはマドリードの宮廷に仕えたディエーゴ・ベラスケスである。宮廷画家であった彼の作品の半数は、現在でも代表作《ラス・メニーナス》をはじめとしてプラド美術館が所蔵している。今回のパリ・グランパレにおける回顧展ではプラド美術館の作品を核に、名高い肖像画、神話画、静物画などを展示し、包括的に彼の画業を紹介している。

ベラスケスは1599年にスペインのセヴィリアに生まれ、12才のときに画家であり美術史研究家でもあったフランシスコ・パチェーコのもとで絵を学び始めた。すぐさま頭角を表した彼は、師の勧めもあって宮廷画家になることを志し、1622年に首都マドリードへと向かう。初期の風俗画や宗教画にはカラヴァッジオの間接的影響が見られるが、1623年に宮廷画家になったのちは、王室コレクションのヴェネツィア絵画との接触やスペイン王室を訪れたルーベンスとの交流、彼に勧められて行った2回のイタリア旅行などにより、様式と技法が洗練され、大まかな筆触により視覚的印象を的確にとらえるという革新的な描法を獲得した。



二回のイタリア滞在は、ベラスケスの作品に大きな飛躍をもたらした。1630年の一回目の滞在では、初めて風景画を手掛けた。逗留先のメディチ家の別荘を描いた《ヴィラ・メディチの庭園》は、19世紀以前にはほとんど例のない屋外で描かれた風景画である。鬱蒼と生い茂る葉の隙間から降り注ぐ木漏れ日、建物の壁面に当たる樹木の影、風にそよぐ葉によって素早く移り変わる光を巧みな筆で捉えている。イタリアで研究した風景画の成果は、スペインに帰国した後に肖像画の背景として取り入れられた。また、この時期のベラスケスは風景画だけでなくさまざまな主題に意欲的に取り組んでいる。そのうちの一つが神話画である。傑作《鏡のヴィーナス》(fig.1)はベラスケスが描いた裸婦像で唯一現存している作品で、厳格なカトリック教国であった当時のスペインにおいて極めて稀な題材であった。


Fig. 1 Diego Velázquez, Vénus au miroir,
c. 1647-1651, oil on canvas, 122,5 x 177 cm,
London, the National Gallery, © The National Gallery
1650年の2回目のイタリア滞在では、当時のキリスト教圏内の絶対的な支配者であった≪教皇イノケンティウス十世≫(fig.2)を描いた。 対象の内面まで深く掘り下げられた写実的描写は、肖像画家として名を馳せていたベラスケスの作品のなかでも最も優れたものである。

展覧会の最後は宮廷画家として多くの人物を描いてきた彼自身を描いた自画像で幕を閉じる。静かにこちらをじっと見据える思慮深い瞳が印象的な作品である。





ベラスケス展は7月13日まで(火曜日休館日)。

グラン・パレ Grand Palais
3 Avenue du Général Eisenhower
75008 Paris, France
www.grandpalais.fr/en
開館時間:
日、月曜日 10:00—20:00
水−土曜日    10:00—22:00
休館日   火曜日、5月1日

2015年3月27日金曜日

シャガール回顧展

詩情あふれる色彩でさまざまな愛を謳いあげたシャガールの回顧展が、ブリュッセルの王立美術館で開催されている。1908年、シャガールが21歳の時に描いた作品から最晩年の作品までを含む200点以上の絵画作品および、彼がデザインした舞台衣装などが展示されている。

Fig.1 Marc Chagall, The Promenade, 1917-1918,
oil on canvas, State Russian Museum, Saint Petersburg
© Chagall ® SABAM Belgium 2015
マルク・シャガールは1887 年にロシアのヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)でユダヤ人として生を受けた。絵を描くことに興味を抱いたシャガールは、本格的に絵を学ぶためにサンクトペテルブルクにある帝室美術奨励学校に通い、そこでフランスをはじめとする新しい芸術の潮流に触れた。シャガールの関心は芸術の中心地であるパリへと移り、ロシアを離れることを決意した。

賑やかで都会的なパリの街や共同アトリエ「ラ・リュッシュ」(蜂の巣)に住む画家仲間、レジェ、アーキペンコ、モディリアーニらはシャガールにさまざまなテーマや新しいモティーフを提供し、彼の創作意欲を刺激した。しかし、シャガールは故郷ヴィテブスクを忘れることができず、その風景 (Fig.1) とそこに暮らす家族や人びとの姿、ユダヤ文化にもとづくさまざまなモティーフをカンヴァスに描き続けた。

今回の展覧会は、敬虔なユダヤ教徒の家庭に生まれたシャガールのユダヤ文化や伝統への関わりを主題に置いている。シャガールの名前も、もともとは旧約聖書のユダヤ教の預言者モーセにちなみモイシェ・シャガール(Móyshe Shagál)と名付けられ、パリにおいて現在知られているマルク・シャガールと改名された。


シャガールは、ロシア革命、第一次大戦などの世界情勢の変動によって国を追われ、フランス、ロシア、アメリカの間を妻ベラとともに、さまよえるユダヤ人となって移動した。1941年、シャガールはナチス・ドイツの迫害から逃れるためにフランスからアメリカに渡る。

Fig.2 Marc Chagall, Definitive Study for the Ceiling
of the Opéra Garnier,  Paris, 1963, gouache on paper,
glued on canvas. private collection
© Chagall ® SABAM Belgium 2015
シャガールと妻ベラがアメリカへ到着したのと時を同じくして、故郷ヴィテブスクがナチス・ドイツ軍の侵略によって灰塵に帰し、その三年後には、愛してやまなかったベラが急死する。戦争により故郷を失い、そして愛する妻を亡くしたシャガールにとって芸術は絶望から逃れられる場所となった。彼は、レオニード・マシーンが振付したバレエ「アレコ」とイゴーリ・ストラヴィンスキー作曲、ジョージ・バラシン振付によるバレエ「火の鳥」の舞台背景と衣装のデザインに没頭する。第二次大戦後はパリに戻り、1960年にアンドレ・マルローの依頼でオペラ座の天井画の制作依頼を受け、より大きく自由な作品を描く機会を得、見事にそれを成功させたのである(Fig.2)。

97年の長い生涯において、旺盛に制作をつづけたシャガールの多彩な世界に浸れる展覧会である。

シャガール回顧展は6月28日まで(月曜日、5月1日休館日)
ベルギー王立美術館 Royal Museums of Fine Arts of Belgium
Rue de la Régence 3 / Regentschapsstraat 3
1000 Brussels
Belgium
www.fine-arts-museum.be/en
開館時間:
火—金曜日 10:00—17:00
土、日曜日    11:00—18:00

2015年2月15日日曜日

「フリック・コレクション ニューヨークの至宝」展

Fig.1 Jean-Auguste-Dominique Ingres
(1780-1867), Portrait of Countess
D'Haussonville
, 1845, Oil on canvas,
131,8 x 92,1 cm,
The Frick Collection, New York;
photo Michael Bodycomb

約2年に及ぶマウリッツハイス美術館の改装で誕生した新館ロイヤル・ダッチ・シェル・ウィングで、初めての本格的な展覧会「フリック・コレクション」展が2月5日からはじまった(開催は5月8日までを予定)。フリック・コレクションは、1935年にアメリカの実業家ヘンリー・クレイ・フリック(1849-1919)が40年以上かけて収集した作品を、彼の死後に美術館として拡張した自宅で一般公開したのが始まりである。13世紀から19世紀まで幅広い時代の作品を有し、絵画、素描、彫刻、家具調度品などジャンルも多岐にわたる。

フリック・コレクションのアイコンである、フランス新古典主義の巨匠ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの《ドーソンヴィル伯爵夫人》(Fig.1)がこの展覧会に貸し出されている。この作品はアングルが1841年に2度目のイタリア滞在からフランスに帰国し、フランス美術界の要職を歴任した時期に描かれた。豪華な調度品のなかに、水色のドレスに身を包んだ女性が佇む。赤い髪飾りが可愛らしく若々しい雰囲気を醸している。陶器のように滑らかな肌、艶やかなサテン地のドレス、卓越した描写は必見である。



Fig.2 John Constable (1776-1837), The White Horse,
1819, Oil on canvas, 131,4 x 188,3 cm, The Frick Collection,
New York; photo Michael Bodycomb

フリック・コレクションとマウリッツハイス美術館の作品を見比べつつ鑑賞できるのは贅沢な愉しみであろう。例えば、フリック・コレクションが有するジョン・コンスタブルの傑作《白い馬》(Fig.2)とマウリッツハイス美術館が所蔵するライスダールの《漂白場越しに見るハーレムの眺め》である。コンスタブルは19世紀のイギリス風景画家を代表し、一方のライスダールは17世紀のオランダを代表する風景画家である。二人は故郷を愛し、絵画に表わしたが、この二枚の絵もそうである。穏やかで繊細な光の描写やのどかで田舎的な雰囲気からは、二人が愛情をもってこの風景を眺めていたことが感じられるようだ。この展覧会に訪れたら、ぜひふたつの愛すべき美術館のコレクションを楽しんでほしい。

フリック・コレクションの作品がヨーロッパに貸し出されることは初めてのことであり、オランダの美術館では所蔵が限られているチマブーエ、ファン・アイク、メムリンク、レイノルズなどが出品される貴重な機会である。マウリッツハイス美術館が所蔵するレンブラントやフェルメール作品も併せて楽しんでほしい。

フリック・コレクション展は5月8日まで。

マウリッツハイス美術館 Mauritshuis Museum
Plein 29
2511CS, Den Haag
The Netherlands
http://www.mauritshuis.nl/en/
開館時間:
月曜日       13:00—18:00
火、水、金—日曜日 10:00—18:00
木曜日       10:00—20:00

2015年1月14日水曜日

ゴッホ没後125年






2015年はフィンセント・ファン・ゴッホの没後125年を迎える。この記念すべき年に、ゴッホの故郷オランダでは「Van Gogh 125-125年にわたるインスピレーション」と題し、オランダ各地でゴッホの生涯と作品、さらに現在に至るまでの、ゴッホが後世の画家に与えた影響を振り返る展覧会が開催される。

チューリップで有名なキューケンホフでは花を使ってゴッホの自画像が再現され、ゴッホ生誕の地ズンデルトではフラワーパレードが行われる予定。また、ズンデルトや、《馬鈴薯を食べる人々》を描いたニューネン、ゴッホが暮らしたエッテンをつなぐサイクリング・コースが整備され、ゴッホが描いた土地をゆっくりと、景色を楽しみながら巡ることもできる。さらにゴッホが暮らしたニューネンでは、オランダ人アーティスト、ダーン・ルースガールドによるゴッホが描いた《星月夜》をイメージしたサイクリングロードが昨年11月12日に完成した。夜になると道路に埋め込まれた石が発光して輝き、とても幻想的な風景が広がる。

Vincent van Gogh, Sunflowers, Arles,
January 1889, oil on canvas, 95 cm x 73 cm,
Van Gogh Museum, Amsterdam
(Vincent van Gogh Foundation)
ゴッホの没後125年で盛り上がるオランダであるが、ゴッホの生涯と作品を知るうえで決して外せないのが世界一のゴッホ・コレクションを誇るファン・ゴッホ美術館クレラー・ミュラー美術館である。

ゴッホ美術館は2015年に先立ち、2014年11月28日より館内の展示が大幅にリニューアルされた。所蔵するゴッホの手紙や豊富な一次資料、修復によって得られた貴重なデータを作品とともに展示し、より深くゴッホの生涯と作品を知ることができる展示になっている。9月25日からは企画展「ムンク―ファン・ゴッホ」が開催される。苦悩に満ちた人生が作品に大きな影響を与えたことは、このふたりの偉大な画家に共通し、ムンクがパリに訪れた際にはゴッホの作品を研究していたというつながりもある。二人の繊細な感性から生み出される作品から二人の共通点と相違点を探っていく。

クレラー・ミュラー美術館では4月25日より「ファン・ゴッホと仲間たち」展が開催される。約50点の作品を展示して、初期から晩年まで同時代の画家たちの作品と比較展示することでゴッホの創造性を探る展覧会である。

ゴッホ関連のイベントがオランダで40以上、そのほかフランスとベルギーでも予定されている。詳しくはウェブページ「Van Gogh Europe」の「Van Gogh 125」(http://vangogheurope.eu/program2015/)を参照のこと。